イランのイラン革命の父とされるアヤトッラー・ホメイニが暗殺されたと、公式な国家メディアが報じた。この出来事は日曜日に確認され、イランの指導層は混乱状態に陥っている。ホメイニが不在となった現在、注目はイランの安全保障機関の主要人物であるアリ・ラリジャーニに集まり、彼が指導力の空白を埋める最有力候補と見られている。

革命家から権力者へ

アリ・ラリジャーニは、政治的根拠が深い有力な宗教指導者家族に生まれた。彼の台頭は偶然ではなく、純粋なイデオロギーに基づくものでもなかった。若いうちからイランの安全保障機関内でキャリアを築き、最高国家安全保障会議の書記長を務めた。この立場は、イランの核開発問題に関する西側との緊迫した対立の際に、国家の最も敏感な戦略的決定に関与する中心的人物となった。

その後、ラリジャーニは2008年から2020年までイラン議会の会長を務め、イラン議会の歴史の中で最も長く在任した人物の一人となった。2015年の核合意においても彼の役割は不可欠であり、保守派の硬直派と、大統領ハサン・ロウハニを支持する中立派の間を橋渡しした。このバランス感覚により、彼はイランの深刻に分断された政治体制の両陣営から信頼される数少ない人物の一人となった。

2026年1月の抗議活動におけるラリジャーニの役割

2026年1月初頭、イラン全国で抗議活動が勃発した際、ラリジャーニは決定的な役割を果たした。当初は経済的困難を背景にした抗議活動だったが、やがて体制への広範な挑戦へと発展した。最高国家安全保障会議の書記長として、ラリジャーニは抗議活動への政府の対応を最初から指揮した。

彼は安全保障戦略を調整し、抗議活動に関する公的なナラティブを形成した。一般の抗議者と、彼が「組織的な暴力的要素」と呼ぶ者との区別を明確にした。ラリジャーニは、イランの高官の中でも最初の人物の一人として、抗議活動を暴力的に鎮圧する立場を主張した。米国政府の発表によると、彼は「最高指導者の代理として」行動し、安全保障機関と協力して反対勢力を抑圧した。これらの行動は数千人の死傷者をもたらし、米国財務省はラリジャーニの鎮圧活動への関与を理由に制裁を科した。

これらの問題行動にもかかわらず、ラリジャーニが抗議活動を管理したことは、最高指導者ハメネイの信頼を回復させた。ハメネイは以前、ラリジャーニが2021年の大統領選で落選した際に不満を示していた。しかし、2026年の広範な混乱を抑える役割は、ハメネイの信頼を回復させた。

イランの外交と戦略的動き

ラリジャーニは、イランの主要国との外交関係を推進する上で重要な役割を果たした。彼はロシアを複数回訪問し、ロシア大統領プーチンと直接会談した。これらの訪問は、米国の圧力に対抗する国際的対抗軸としてのロシアとの関係を管理する上で、ハメネイにとって不可欠な同盟関係を強化した。

ラリジャーニは、中国との関係を推進する面でも中心的な役割を果たした。彼の外交努力は、2021年に両国間で締結された25年間の包括的なパートナーシップ協定の直接的な原因となった。この協定は、イランの経済的および戦略的アライアンスの核となるものと見られている。

核問題に対する彼の立場も現実的である。ラリジャーニは先月、オマーンの国営テレビに対して「私の見解では、この問題は解決可能である。米国の懸念がイランが核兵器を取得しないことにあるのなら、それは対応可能である」と語った。

ホメイニの暗殺後、ラリジャーニは指導力の移行が1日から2日以内に起こると発表した。暫定的な指導理事会が設置され、大統領、司法長官、そして指導理事会からの法学者が次の指導者の選出まで責任を担うと予想されている。この移行は、ラリジャーニがイランの政治的未来において中心的な役割を果たしていることを示している。しかし、彼が暫定理事会で果たす正確な位置はまだ不透明である。

1月の抗議活動の後、大統領の権威は低下し、ラリジャーニは外交および安全保障に関する決定をますます主導するようになった。国際メディアへの登場や核交渉における役割は、彼をイランの指導層の中心人物として位置づけている。彼が次の危機の結果として、安定の象徴として記憶されるか、抑圧の象徴として記憶されるかは、イランの次の危機の展開にかかっている。