ベトナム戦争初期、南ベトナム大統領宮の公式ホストとして知られていたンフー夫人は、ローマで86歳の生涯を閉じた。その死は妹のレチ・オッゲリ氏によって確認された。1924年に生まれ、生涯の後半はローマと南フランスで過ごした。

政治的権力の中心に

ンフー夫人は本名をトラン・レ・フン(美しい春)といい、南ベトナム大統領 Ngo Dinh Diem の弟で首席政治顧問である Ngo Dinh Nhu の妻として知られるようになった。大統領の公式ホストとして、戦争初期のベトナムで政治的影響力を持つ存在として知られていた。

夫は秘密警察と特殊部隊を掌握し、ンフー夫人は大統領の側近や支持者、批判者に不快な助言や公的な脅し、巧妙な操作を仕掛け、大統領の反対勢力を牽制する存在となった。彼女は鋭い知性と、容赦ない公的な発言で、サイゴンのアメリカ記者や外交官から注目と批判を浴びた。

ベトナム戦争における物議を醸す存在

1963年、北ベトナムとの戦争が悪化する中、南ベトナムの仏教徒多数派は公式の腐敗や土地改革の失敗に不満を抱き、抗議行動が広がった。その中で、数人の仏教僧が公の場で自らを焼くという衝撃的な行動を取った。その映像は、大統領に圧力をかけたが、ンフー夫人の発言もまた注目を集めた。

彼女はその自殺行為を「バーベキュー」と呼び、記者に「彼らが焼け尽きても、私たちは拍手を送る」と語った。歴史家ウィリアム・プロチナウ氏は『Once Upon a Distant War: Young War Correspondents and the Early Vietnam Battles』(1995年)で、「彼女の陰謀の能力は無限大だった」と述べている。

当時の有名なコミック『テリーとピラツ』に登場する悪魔的な女性ヒロインに例えられ、「ドラゴンレディー」というニックネームを獲得した。

1962年、反乱軍のベトナム空軍パイロットが大統領宮を攻撃し、爆撃と機関銃掃射を仕掛けた。大統領は無傷だったが、ンフー夫人は寝室から爆弾の穴を通り、2階下の地下に落ち、切り傷や打撲を負った。しかし、危険を顧みず、南ベトナム政府の重要な政治的役割を果たし続けた。

遺産と流亡

大統領と夫がアメリカの黙認下で軍事クーデターで殺害された後、彼女は影に隠れることになった。ベトナムへの帰還が許されず、彼女とその子供たちはローマに移り、弟夫婦であるゴー・ディン・ツー枢機卿の近くに住んだ。

1966年7月、フランスの記者に対して行った激しく反米的なインタビューで、彼女はベトナム共産党への同情を表明し、アメリカが「ジャングルの自由」を説いていると発言した。

ンフー夫人の人生は政治的影響力、物議を醸す発言、そして流亡という要素で満たされていた。ベトナム戦争期に、鋭い舌と政治的知性で注目を集めた彼女は、ベトナム政治史の時代の終焉を象徴する人物となった。

彼女の遺産は、ベトナム戦争を体験した人々や、その政治的複雑さを研究した人々によって記憶されるだろう。彼女の戦争への影響と、ベトナムの人々への影響は、歴史家や政治分析家によって今後も議論され続けるだろう。