72歳のチリ女性アドリアナ・リバス氏が、ピノチェト将軍政権下で反対派を誘拐・拷問したとされる嫌疑で、オーストラリアからの引渡しを求める訴えを棄却されたことがBBCにより報じられた。

ピノチェト政権の歴史的背景

1973年から1990年まで続くピノチェト政権下では、4万人以上が政治的弾圧を受け、そのうち3000人が死亡した。BBCによると、リバス氏は1978年にオーストラリアに移住し、シドニーのボンディ地区でベビーシッターおよび清掃業として働いていた。12年前にチリ政府が引渡しを求めてきた。

チリ政府は、リバス氏がオーストラリアに移る前、7人の人物の行方をくらましたと主張。リバス氏はこれを否定しており、2006年に自国に帰国した際に初めて逮捕されたが、保釈中にオーストラリアに戻っている。

引渡し請求と法的手続き

2014年にチリ政府が引渡し請求を提出したが、BBCによると、今月、連邦裁判所はリバス氏の弁護士が主張した「法的瑕疵がある」という主張を棄却した。リバス氏は上級連邦裁判所に上訴できるが、上訴の根拠が成立するかは不透明。

ピノチェト政権下の犠牲者家族を代表する弁護士は、今月の判決について「本当に、本当に喜んでいる」と語った。上訴がなければ、リバス氏は自国に送還され、誘拐の罪で裁判にかけられる。

ディナ秘密警察の役割

リバス氏は1973年から1976年にかけて、チリの著名な秘密警察の長官マヌエル・コントレラス氏の秘書を務めていた。BBCによると、人権活動家たちは長年、彼女が反対派の誘拐や拷問に関与したと主張している。

彼らは、彼女が1973年9月に軍事クーデターで権力を掌握したピノチェトが設立した国家情報局(ディナ)の積極的なエージェントだったと指摘している。ディナのエージェントたちは、1973年以降、数千人の人を誘拐・拷問・殺害・強制失踪させた。ディナは後に、同様に残酷な軍事情報部隊CNIに置き換えられた。

リバス氏は2013年、オーストラリアの放送局SBSにインタビューで、ディナにいた日々を「人生で最も良い時期」と語ったが、自身の関与を否定した。ディナの拷問について聞かれた際、彼女は「人々を壊さなければならない。これは世界中で起こっていることだ。チリだけではない」と述べた。

チリの検察は、リバス氏が1976年にチリ共産党の秘書長ヴィクター・ディアス氏とその他の6人の共産党員の強制失踪に関与したと告発している。7人中最も若いのは29歳のレイナルダ・デル・カメン・ペレイラ・プラザ氏で、当時妊娠中だった。7人の共産党員はすべて拘留中に死亡したとされている。

チリ政府が提出した引渡し請求に添付された文書によると、リバス氏は「被害者らの逮捕に関与し、警備やその他の運用的な役割を果たした」とされている。

ドキュメンタリー映画監督リセット・オロスコ氏が取材した証言では、リバス氏はディナの「最も残酷な拷問官」の一人で、地下共産党の指導部を殺害するためのエリート部隊ラウタロ・ブリゲードの重要な役割を果たしたとされている。リバス氏は拷問に参加したと否定している。

オロスコ氏はリバス氏の甥であり、5年かけて制作したドキュメンタリーは2017年のベルリン国際映画祭で上映された。この映画は、リバス氏に対する告発と、彼女がピノチェト政権下の虐殺に関与したとされる責任を強調している。